社労士のAI活用 ── 事務所の時短と、「助成金つきAI研修」という新しい商品
「社労士 AI」で検索すると出てくるのは、就業規則のたたき台をAIに書かせる、手続き書類の下書きを作らせる、法改正を要約させる。だいたいこの3つです。どれも有効ですが、事務所の中の話で完結しています。
現場で増えているのは、別の相談です。顧問先の経営者が、先にAIを触り始めている。
前半では事務所の時短を具体的に扱います。後半は、社労士が「AIを使う人」ではなく「AI活用を売る人」に回る設計の話です。他士業にはない武器を、社労士は持っています。
いま社労士に起きていること ── 顧問先のほうが先に触っている
労務の相談で訪問したはずが、途中からAIの話になる。そういう場面が増えています。
経営者がChatGPTを個人で使ってみて、「これ、うちの給与計算にも使えないの?」と聞いてくる。あるいは「息子がAIで見積を作っていた」と言われる。専門家として同席している以上、何か答えないといけません。
ここで「専門外なので」と返すと、その会話は終わります。次からは別の相手に聞くようになる。逆に、たとえ完璧な答えでなくても一緒に考えられる社労士は、労務以外の相談窓口になっていきます。
顧問契約が続くかどうかは、手続きの正確さだけで決まりません。相談したくなる相手かどうかです。
AIが下げるのは「作業の単価」であって「関与の価値」ではない
不安の中身を、いちど分解しておきます。
下がるもの
- 書類の下書きにかかる時間
- 明細や台帳への転記
- 定型の説明文を書く手間
これらは確実に安くなります。顧問先が自分でやってしまう日も来ます。
下がらない、むしろ重くなるもの
- 出てきた文面や数字が、法令に照らして妥当かの保証
- 例外的なケースの判断
- 何をどう決めるかを経営者と話す時間
AIが作業を引き受けるほど、確認する人の責任は重くなります。誰かが「これで問題ない」と言わなければ、会社は動けません。そこに専門家の名前が要ります。
奪われるのは作業であって、関与ではない。ここを混同すると、必要のない不安を抱えることになります。
事務所の中で先に効く業務
順に見ていきます。全部やる必要はなく、1つ選べば十分です。
給与明細から一覧表への転記
ある社労士の方から最初に相談されたのが、この作業でした。PDFの給与明細を、スプレッドシートに転記する。毎月、顧問先ごとに発生します。
同じ形式が大量に発生する作業は、削減率が大きく出ます。参考までに、製造業の案件では94ページのPDF画像から出勤簿を読み取り、846セル中846セルが一致しました。紙をスキャンした画像でも、様式が一定なら読めます。
請求書の処理
顧問先ごとの請求書作成と、入金の確認。件数が多い事務所ほど効きます。
就業規則・規程の下書き
コツは、ゼロから書かせないことです。自事務所が過去に作った規程を基準として渡し、「様式を崩さず、この会社の条件に合わせて差し替えて」と指示します。
不動産会社の案件で、直近の契約書をベースに新しい契約書を作らせたところ、Excelの様式が一度も崩れませんでした。規程も同じ構造です。白紙から書かせると事務所の色が消えますが、過去の成果物を基準にすれば残ります。
手続き書類・届出の下書き
様式ごとの必須項目を一度書き出しておけば、抜けのチェックは任せられます。担当者の記憶に頼っていた部分が、明文化されます。
法改正の要約と論点整理
事務所内で共有する資料まで。顧問先に配る文書は、必ず人が確認します。
助成金の要件チェック
一次的な絞り込みまでは有効です。ただし最終判断は人。要件は年度で変わり、運用の解釈も自治体や労働局で差が出ます。
任せてはいけないこと
- 法令解釈の最終判断
- 顧客に出す文書の最終確認
- 判断基準が事務所内で言語化されていない業務。まず基準を言葉にするのが先です
- 例外的な労務トラブルの対応方針
3つ目は補足が要ります。「なぜこの顧問先だけこの処理をしているのか」を説明できないまま自動化すると、精度が9割で止まり、残り1割の理由が誰にも分からなくなります。
製造業の案件で、担当者が毎月ひとつだけ手入力していた品番がありました。理由を追うと、同じ製品でも社内加工と外注加工で単価が違うのに、システムが区別を持っていなかった。647品番のうち1行だけの例外です。属人芸に見えたものは、言葉にすれば引き継げるルールでした。
事務所の中にも、必ずこの種の例外があります。
個人情報とマイナンバーの線引きを先に決める
社労士業務は、扱う情報が重いのが特徴です。給与データ、マイナンバー、健康情報。ここは最初に線を引きます。
- 社内データを外部に学習させない設定にする
- 扱ってよい情報の範囲を決める。マイナンバーは対象外にするのが無難です
- 顧問先のデータを、別の顧問先の作業に混ぜない。フォルダとルールを顧問先ごとに分けます
- 事務所の運用ルールを1枚にまとめ、職員が同じ判断をできるようにする
技術的な設定より、運用ルールを紙にすることのほうが効きます。詳しくはClaude Codeのセキュリティ ── 企業導入時のチェックリスト10項目にまとめました。
ここからが本題 ── 社労士は「売る側」に回れる
事務所の時短は、どの記事にも書いてあります。ここからは、あまり書かれていない話です。
社労士には、他の士業にない立場があります。助成金の申請支援ができることです。
顧問先が社員にAIの研修を受けさせるとき、その費用の一部が助成の対象になりうる。人材開発支援助成金には、在職者向けの訓練を対象とする道があります。
ここで座組を考えます。必要な役割は3つです。
| 役割 | 内容 |
|---|---|
| 訓練を実施する主体 | 研修を提供する法人。要件を満たす必要がある |
| 講師 | 実際に教える人。AI導入の実務を知っている人 |
| 助成金の申請支援 | 要件確認、書類作成、申請 |
社労士は3つ目を担いながら、顧問先を紹介する立場にもなれます。顧問料とは別の収益が立ち、しかも顧問先の課題が実際に解決する。売り込みではなく、支援の延長として話せるのが強みです。
私たちも今、この形の座組を1つ検討しています。
研修は「受けたら1業務が動いている」形にする
座組の話をすると、次に決めるのは中身です。ここで多くの研修が失敗します。
AIの使い方を座学で説明する研修は、受講直後の満足度は高くても、1か月後には誰も使っていません。理由は単純で、自分の仕事に接続されていないからです。ツールの操作を覚えても、明日の業務に置き換わりません。
有効なのは、受講者が自分の業務を1つ持ち込む形です。
- 受講前に、毎月発生している作業を1つ選んできてもらう
- 研修の中で、その業務の手順を書き出す
- 実物のデータで動かしてみる
- うまくいかない箇所の理由を言葉にする
- 終了時には、手順書と動くものを持ち帰っている
この形にすると、受講者は「AIを学んだ」ではなく「自分の作業が1つ減った」という状態で終わります。社内での説明も楽です。
複数の会社が合同で受ける形も相性がいいです。業種が違っても、転記や照合といった作業の骨格は共通しているので、他社の持ち込んだ業務が自社のヒントになります。
顧問先を複数抱えている社労士なら、この合同開催を組みやすい立場にあります。ここも有利な点です。
ただし、走る前に確認すべき5点
正直に書きますが、この設計は「思いついてすぐ動ける」ものではありません。確認が要ります。
- 訓練を実施する法人の目的に、企業の在職者向け研修が読み込めるか。定款の記載を確認します。読めない場合は、目的の追記が必要になります
- 講師の要件を満たすか
- 受講の確認方法。対面研修での出席確認、記録の残し方
- 周知の要件。Web掲載などが求められる場合があります
- 制度は年度で変わる。その年の公募要領で確認します
私たちが検討している座組でも、いま時間を使っているのはまさにこの5点です。特に1番目は盲点でした。研修を実施できる法人を用意したつもりでも、定款の目的が別の事業を指していれば、訓練実施者として認められない可能性があります。
順番を間違えると、研修を実施してから通らないと分かります。設計より先に、要件の確認です。
事務所で試すときの順番
自分の事務所で先に試してください。使ったことのないものを顧問先に勧めるのは、やはり無理があります。
STEP1|毎月発生している作業を1つ選ぶ
給与明細の転記、請求書の作成、顧問先への定例報告。件数の多いものから選びます。
STEP2|実物のデータで試す
サンプルではなく現物を使ってください。顧問先ごとの様式の違いや、手書きの追記は、実物にしか現れません。
STEP3|合わなかった理由を言葉にする
「なぜこの顧問先だけ処理が違うのか」を書き出します。ここが山場で、そして事務所の資産になります。
STEP4|手順書にして職員へ渡す
自分しか動かせない状態にしないでください。属人化を解くために始めたはずです。
期間は3か月をみておけば十分です。技術的な部分は数日で片付くことが多く、時間がかかるのはSTEP3です。
顧問先に持っていける最初の一手
いきなり研修を売らないでください。話が大きすぎて、決裁が止まります。
最初にやるのは、顧問先の業務の棚卸しです。
| 業務名 | 月間件数 | 1件あたり | 月間時間 |
|---|---|---|---|
| 例:注文書の入力 | 800件 | 12分 | 160時間 |
| 例:給与明細の転記 | 60件 | 10分 | 10時間 |
月100時間を超える作業があれば、そこが最初のテーマです。
ここで効いてくるのが、社労士の立場です。顧問先の業務内容と人員配置を、すでに知っている。誰が何をしていて、どこに無理があるかを把握しています。
外部のAI業者は、この情報をゼロから聞き出さなければなりません。初回のヒアリングに数時間かけて、それでも表面しか分かりません。社労士はその工程を飛ばせます。提案の精度で勝てる、数少ない立場です。
よくある質問
Q. 社労士の仕事はAIに奪われますか
作業は減ります。関与は減りません。むしろ、AIが出したものを保証する役割の重みが増します。減るのを恐れるより、増える部分に時間を移すほうが現実的です。
Q. 1人事務所でもできますか
できます。むしろ人が少ない事務所のほうが、決めてすぐ試せるぶん早いです。全部の業務を対象にせず、毎月発生する転記作業を1つ選んでください。
Q. 顧問先のデータを扱ってよいですか
扱ってよい範囲を先に決めます。マイナンバーは対象外にするのが無難です。顧問先ごとにフォルダとルールを分け、混ざらないようにします。
Q. 就業規則をAIに作らせて大丈夫ですか
たたき台までは有効です。過去の自事務所の規程を基準として渡すと精度が上がります。顧客に出す前の確認は、必ず人が行ってください。
Q. 助成金は必ず使えますか
必ずではありません。訓練を実施する法人の要件、講師の要件、受講確認の方法など、確認すべき点が複数あります。制度そのものも年度で変わります。その年の公募要領で確認してください。
Q. 何から始めればよいですか
自事務所で毎月発生している転記作業を1つ選び、実物のデータで試してください。顧問先への提案は、自分で試した後のほうが説得力が出ます。
まとめ:今月の1アクション
- 奪われるのは作業の単価。 保証する役割と、経営者と話す時間はむしろ増えます
- ゼロから書かせない。 過去の規程や書式を基準として渡すと、事務所の色が残ります
- 社労士は売る側に回れる。 ただし助成金の要件確認が先です
今月の1アクション:自事務所で毎月発生している転記作業を、1つ書き出す
給与明細から一覧表へ、請求データから台帳へ。件数と1件あたりの時間を掛けてみてください。年間で足すと、思っていたより大きな数字が出ます。
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